卒業

付き合うきっかけは、ホントにたいしたことなかった。
ただ出席番号がひとつ違いだったから、席も近くてよく話していたってだけ。
彼女と付き合い始めたのは、中学二年の冬。
今でも、思い出すと胸が苦しくなる――そんな話。

「なあ、お前さ……彼女いるんだろ? もう、ヤったのか?」
昼休みも半ばを過ぎたころ、仲のいい男友達が俺にそう話しかけてきた。
しかもニヤニヤと笑いながら。どうやら俺をからかいに来たみたいだった。
「は? 何言ってんだよ、んなわけねーだろ」
「そうなのか? いや、俺に彼女がいたらヤってるだろうし、お前もかなーって」
そいつはそう言って俺の“彼女”の方向をチラリと見た。
彼女は、友達と笑いながらご飯を食べていた。
あ、いや、いまちょうど食べ終わったみたいだ。箸をおいて、手を合わせていた。
「一緒にすんな、エロ」
「男はみんなエロなんだぜ?」
俺の吐いた悪態にも動じず、飄々とそいつは嘯いてみせた。
「ねーっての」
そうは言ったものの。
俺は青春時代を迎えたばかりで、エロに興味ありまくり。
彼女にそれをぶつけないようにするのは、ホント大変だった。いや、マジで。
男友達といるとき、無意識に口にするそういう単語。
男同士ならお互いに分かってるし、冗談で笑える。
けど、女の子に対してそんなことを言えるほどオープンじゃなかった。
女の子もその単語を笑って受け入れられるほど大人でもなかった。
だからなのか、それとも元々なのかは知らない。だけど、彼女はかなり潔癖だったと思う。
少しでもそういう言葉を発したらビンタを食らう。
スカートについてたゴミをとってやったら、往復ビンタだぜ?
ある意味、骨董品みたいな子だった。いまどき、ありえないってくらい。
でも、アレコレと色々あって、一年が経過した。
そのあいだ、キスもしなかったし当時中学生の俺たちはセックスなんて、もってのほか。
つまり――いたって、普通の付き合いだったんだ。

一年が経てば、俺たちも中学三年になる。それも冬なら、もうすぐ受験だ。
俺たちは同じくらいの成績だったし、同じ高校を選んだ。一緒に受験して、一緒に合格して。
そういえば、その時は珍しく彼女から抱きついてきたっけ――背中に手を回したらすぐに離れたけど。
だけど、俺たちが一緒の高校に進むことはなかった。
彼女は俺たちの受けた学校のほかに、県外のいい学校も受けていたんだ。
そして、彼女がそれを俺に打ち明けてきたのは、その合格が決まってからだった。
「あのね、話があるんだ」
「ん?」
「大切な話だから……今日の帰り、一緒に帰れる?」
「ああ、うん。大丈夫だよ」
卒業も間近に迫ったころ、朝一番に彼女は俺にそう言った。
別に放課後に用事はなかったし、彼女の顔は真剣そのもので断れない雰囲気だった。
「良かった。それじゃ、またあとでね」
彼女はちょっとだけ安堵したような――悲しそうな、そんな表情を見せた。
彼女が去ってから、友達が何人かで俺の席に集まりだした。
「なんなんだよ、さっきの大切な話って?」
「なんかあるのか? どっか旅行にいくとか」
「卒業旅行ってやつ? 童貞卒業かあ?」
ワイワイガヤガヤとはやしたてる野郎ども。
「……やめろよ、なんかそんなんじゃなさそうだったし」
勝手に騒ぎ立てる奴らを尻目に、俺は少し冷めた言い草をした。
彼女のなんだか悲しそうな表情が、どうしても俺の頭を離れなかった。

放課後、俺はホームルームが終わってすぐに彼女の席に近づいた。
普段、学校で彼氏として振舞うことはあまりない。周りに冷やかされるのが嫌で、暗黙のうちに学校では今までと同じような友達としての付き合いをしていこうと決まっていた。
珍しくそれを破った俺に対して、彼女は何も言わずに「帰ろっか」とだけ言って席を立った。
俺には、それが何だか余計に変に感じられた。朝の表情が頭をよぎる。
「ああ、帰ろう」
俺は心の中を悟られないように気をつけながら、彼女の手荷物を持った。「あ、私が持つよ」と言っていたが、無視した。
彼女の持ち物を、少しでも手にしていたい。そんな衝動に駆られていた。

冬は日没が早い。部活も何もないから四時過ぎには帰れるんだが、その時間でも夕暮れが目に染みるようだった。
「それで、話ってなに?」
学校を出てしばらく、彼女は何も言わなかった。ただ下を向いて、時々俺のほうを向いて。
いい加減にしびれを切らした俺が先に口を開いたのだった。
「うん……」
彼女は少し逡巡するような素振りを見せたが、覚悟を決めたようで、俺の目をじっと見つめた。
「あの、ね」
「ああ」
「私たち、一緒の高校に行くって約束したよね」
「したよ。なんなんだよ、急に」
「ごめん……私、その約束守れないかもしれない」
「え?」
なに、なんだって?
「私ね……家族に言われて、県外の高校も受験してたんだ。ほら、けっこう有名な進学校なんだけど……」
彼女が口にした高校の名前は、俺でも知っていた。それくらい有名な進学校だった。
そしてその高校は――結果発表が遅い学校だった。
「私、合格したんだ。昨日が合格発表で……」
「……そう、なんだ」
グラグラと地面が揺れているような感覚。
とんでもない事実を突きつけられたような気がしていた。
だけど俺にはそれを口にすることも出来ず。
ただ、彼女のほうを見ているだけだった。
「……どうしたらいいのかな」
消え入りそうな弱々しい声で、彼女はそう呟いた。
いや、俺に尋ねていた。
本当に辛そうな表情をしていた。
「そりゃ……いい学校に受かったんだから、そっちのほうが……いいんじゃないか?」
「……いいの? 私が、別な高校に行っても」
彼女の言葉は俺にとって強烈だった。だけど、自分でもどうしたいのか分からない。
彼女が自分の将来のために受けた学校なんだから、そっちに行ったほうがいいに決まっている。
だけど自分と一緒に高校生活をすごして欲しいと思う自分も、確かにいた。
「……いいわけ、ねーだろ」
なんとか吐き出すようにしてそう言うと、俺は彼女から目を背けた。
胸の中が空っぽになったような気がしてこれ以上見ていることが出来なかった。
「そう言ってくれるなら、引き止めてよ」
「………………」
「引き止めてくれたら、私だって……」
顔を見ないでも分かる。
彼女の声は震えていた。
今にも泣きそうなくらい、震えていた。
「ねえ、私は……どうしたらいいのかな……?」
「……でもさ、もうひとつの学校を受けたのは家族の薦めだけじゃないんだろ?」
俺の言葉に彼女が息を呑んだ気がした。
「お前、人に言われたから……って、性格じゃないし。自分が行きたかったから受けたんだろ?」
「………………」
彼女の沈黙が俺の言葉を肯定していた。
たぶん、いま彼女の目からは涙が落ちている。
そう思った俺は、立ち止まって空を見上げることにした。
じゃないと――俺も、泣いてしまいそうだったから。
「……だから、お前が行きたい学校に行くって言っても、俺は止めない」
「………………」
「別にもう会えないわけじゃ、ないしな」
「……うん」
「他の人とも、話し合ってみようぜ……俺だけじゃないだろ、話さなきゃいけない相手は」
「…………うん」
彼女は何回か頷いて、不意に俺の背中に頭を押し当てた。
気づかないフリをして、俺は空を眺め続けた。
かすかな嗚咽が、背中から聞こえていた。

数日後。
周りの人からの薦めもあって、彼女はいい方の学校に行くことにした。
俺と彼女の関係は周りも知っていたので、俺に同情する人間の多いこと多いこと。
あと何日かは登校拒否でもしようかと思ったけど、勿体ないからしなかった。
あと、何故か最後の二週間でビンタの数が倍増した気がする。
わけがわかんなかった。

卒業式。
出席番号が連番ということは、俺の隣に彼女がいる。
彼女はボロボロと泣いていた。
こんな姿初めて見たからドキッとしたけど、心情を察したらなんだか悲しくなった。
あれは何なんだろうな。
たぶん彼女も最後っていうのを意識していたんだと思う。
一人ひとり名前を呼ばれて、卒業証書を受け取る。
俺たちの番が近づくにつれて、なんだか現実感がなくなっていくような錯覚がしていたんだ。
彼女の名前が呼ばれた時も、俺の名前が呼ばれた時も。
なんでもない日常のように思えた。
なんでもない日常が、終わろうとしていたのに。

式が終わって教室に戻ると、みんなワンワン泣いてた。特に、女の子。
俺はというと、泣きたくても泣けなかったんだよな。
周りの空気は泣いてもいいぞって言ってるんだけど、意地っ張りな俺は涙を見せたくなかった。
現実を認めるのが怖い、そう思っていた。
男友達が冷やかしに来たのは、金的蹴って追っ払ったのを覚えている。
彼女は女友達に囲まれていて近づけなかった。
女の子たちが泣きながら話しているのを遠目に、俺は何も考えずにぼーっとしていた。
ありがちな展開なら、最後に校門とかで二人きりになる展開なんだけど、そんなこと考えていなかった。
ただ、どうせ終わるならこのまま終わりでも良いかな、って思ってた。
しばらくして担任が教室やってきて、ありがたいお言葉を頂戴。はい、みんな解散。
みんなは卒業アルバムを出し合って色々と書きあっていた。俺もその流れに参加した。
彼女の卒業アルバムには何もかけなかった。書きたかったけどね。

彼女は卒業してから引っ越すって話をしていた。
卒業してもしばらくは会えると話していたが、県外に引っ越すとなると話は違う。
別な高校に行くだけじゃなかったんだよな。家も、離れちまうんだった。

俺は帰るきっかけがなくてダラダラと教室で男友達と話していた。
彼女は女友達と一緒に帰ったみたいだった。引っ越す前に一度会えればいいや、って何故かドライな気分だった。
男友達と話しているのも飽きてきたし、帰ろうって話になって校門のほうに向かったんだ。
そしたら彼女がひとりで俺を待っていてくれた。
「最後だし、一緒に帰りたかったから」
だってさ。その時は男友達も空気を読んでくれて、俺たち二人きりにしてくれた。
マジで助かったな、あれは。
俺が彼女に抱きつくと、彼女は俺に頭突きかました。イテェと思ったけど、嬉しくて嬉しくて。
それで、俺たちは二人で一緒に帰った。
だけど二人とも足が進まないんだよな。
帰ったらそこで終わりって思ってたから、ヤバイくらいゆっくり歩いてた。
最初は他愛のない話をしていたんだけど途中からは思い出話になった。
そしたら、涙がこみ上げてきて――卒業式で泣けなかった俺が、ここで本気で泣いた。
みっともないって思ったけど、彼女はそんな俺に「泣かないでよ、お願いだから」って複雑そうな顔をしてハンカチを渡してくれた。
ハンカチは青色だった。それだけはハッキリ覚えている。

俺が泣き止んだら、今度は彼女が謝りだした。
今までのこと、ビンタしたこと――俺に相談せずに受験したこと。
そして、もう会えなくなること。
そんな彼女を責められるわけがないだろ。
彼女が笑ってくれるよう、「あのビンタがもらえなくなるのは寂しいな」って言った。
彼女は笑ってくれた。今日、初めて笑顔を見た。
笑い終わった彼女は、唐突に真剣な顔をして言った。
「私のこと引きずらないでね」
「無理だね」
俺が即座にそう答えると、「馬鹿」だって。
力のないビンタを一発食らって、涙腺が緩んだ。

それからは普通の会話に戻そうと努力して、なんとか話を元に戻した。
くだらない話とか、思い出話をして――そして、彼女の家に着いた。
結局、一度も家にあがらせてはくれなかったけど。
そこで終わってしまうって気がした。ああ、って気分だった。

俺が「もう会えないかな?」って聞くと、彼女は「引っ越すまでなら毎日でも会えるよ」って言った。
「毎日来たら引越し準備の迷惑だろ?」
「うんそうだね」
俺の言葉に、彼女は笑いながらそう言った。
「手伝おうか?」
「私の分はほとんど終わってるから大丈夫」
「……これから寂しくなるよ」
「そうだね」
「なんていうかさ、今までありがとな」
「お互い様だよ。本当に楽しかったもん」
「そっか」
「色々……ゴメンね」
「お互い様だよ」
そこまで話していたのが、突然沈黙に変わった。
一瞬だけ空白があって、
「……ゴメンね」
彼女の小さな声と唇への柔らかい感触が伝わってきた。
数秒くらいかな、俺は反応することが出来なかった。
何が起こったのかもわからなかった。
終わった後、彼女の顔が赤かったからやっと気づいた。
最初で最後のキスだった、って。
彼女はそのまま「またね」って言って、家の中に入っていた。
俺は呆然としていたけど、すぐに家に帰ろうと思った。
じゃないと、泣いてしまいそうだったから。

あれから三年が経った。
高校に入ってからは一度も彼女に会っていない。
当時の俺は携帯も持っていなかったから、メアドとか何も知らない。
知っているのは引越し先だけなんだが、手紙も送ってない。
あいつは向こうで男作って、楽しくやってるだろうな――そう考えたら、俺なんて今更だしさ。
俺のことなんて思い出させたくない。
それにしても彼女の黒くて長い髪は天然記念物だったと思う。すごく綺麗だった。
本人も気に入ってたらしいから、切ってはいないと思う。
今でもあの綺麗な髪をしているんだろうか。
彼女のこと、まだ忘れられないんだ。

まいったことに、それからはホント女運がなくなっちゃったんだよな、俺。
手紙を俺から送ることはないと思う。彼女から来ることもないし、今は受験で必死だろうし。
だけど、また付き合えるなら付き合いたいっていうのが本音。
でも、もう彼女を忘れたいってのも本音。
結局俺はどうしたいんだろう――自分でも良く分からない気持ちなんだ。
三年も会わなかったら人は変わる。
出来るならこのまま良い思い出として残しておきたい気もするんだ。
彼女だって俺を鬱陶しいと思ってるかもしれないし。

――分かってるよ。
自分が逃げていたんだって、今なら分かるよ。
俺は三年間、目を背けてきた。
もう、逃げちゃだめなんだよな。
アイツに忘れられたいって言う気持ちも本気だ。
だけど、今も忘れられずにいる俺の気持ちは、まだなくなってないんだ。
俺はアイツが好きなんだ。まだ、好きみたいだ。
だから、手紙を書こうと思う。
三年間の空白を埋めるための手紙を。
俺たちの新しい関係を結ぶための、始まりを。

もうすぐ春になる。
受験も終わった頃に――手紙を出そうと思う。
あの日のキスの意味を、手離したくないんだ。
アイツの笑顔が見たいんだ。
アイツとまた、いっしょに笑いたいんだ。
アイツとまた――

主人公 : Zjo1ryYo0 氏
執筆 : GrBUVECS0